シエラレオネに関する話。
あまり楽しい話ではないのと、際どい表現が含まれる為、苦手な方はご注意下さい。
シエラレオネの平和交渉に関する論文を書くために、シエラレオネのバックグラウンドについて調べていた時、反乱軍の指導者サンコーについての表記が、ただ、反乱軍の指導者としてしか書いてない記事を数本読み、さらに別のを読んだ時に前防衛軍伍長とあったのを見た時に突き抜けた思いは、中々に衝撃的だった。
1808年から1961年の間イギリスの植民地支配下にあり、独立後も政府が安定せず、汚職が進行し経済は悪化の一途を辿った。国民の不満は募り、抜本的な改革を望む声が高まる中、天然資源でもあるダイヤモンドの鉱山の所有をも巡って、ついに1991年サンコー率いる反乱軍が隣国リベリアの反乱軍指導者チャールズテーラーの援助を受けながら武装蜂起する。
第二次大戦後の紛争や内戦の特徴として、軍や兵ではなく一般市民が暴力の対象として定められていることが挙げられる。四肢や、唇などの身体の一部を切断するものから、レイプなどの性暴力など筆舌に尽くしがたいおぞましい行為が紛争下において、反乱軍のみならず政府軍の間でも行われていた。
死者の数も国外への避難を余儀なくされた人の数も計り知れず、またあらゆる暴力にさらされた人の数は更に増えるのだ。
ECOMOGやナイジェリア軍の介入、国連の経済制裁、によって、1999年にLomé合意が締結されるが、実際公的に内戦終結が宣言されるのは2002年と3年の時間がかかる。その間も、暴力は止まらず、2000年には国連のPKO約500人が人質にとられる事件も発生する。これにはイギリスが軍を派遣し、沈静化と人質解放に貢献している。
Lomé合意で、内戦下におけるあらゆる暴力に対しての恩赦を認めていて、そのこと自体は国連をはじめ、人権保護団体などから激しく非難される対象となっているのだが、恩赦を受けていた反乱軍のリーダー、サンコーは2000年の人質事件の際に捕まっている。
この部分も掘り下げてみると、かなり複雑な思いに駆られる。
国連のPKOが人質に取られた場所はダイアモンドのプロダクツがある場所で、PKOはその場所の反乱軍の非武装化を行おうとしていたという。それに抵抗した結果の人質事件である。
また、国際社会の、Lomé合意の中の恩赦の批判とは別に、その恩赦がなければ合意には至らなかったであろうという意見の強さも確かにある。
そして、恩赦を許容する、市民の声が必ずしもないわけではないらしい、ことも注目に値する点だ。
何故なら、政府の悪政を反乱軍は軽減した、という見方もあるからだ。
また、もうひとつ見落としてはいけない点はこの恩赦は反乱軍のみならず、政府軍にも適用されている点だ。
とまぁ、ぐだぐだと書いてきたが、
他にも苦しくなる話がいくつか残っている。
たとえば、サンコーとテーラーを繋いだ存在に、リビヤのカダフィがいたりとか。
2000年にサンコーともうひとつの反乱軍の指導者がフリータウンに訪れ、民衆に、謝罪と許しを請うた、という記事もある。
そして、これは、まだ肌感の状態で、突き抜けた、恐怖なのだけど、
国連は、既存の政府に寄り添う、という感覚。
たとえそれが、汚職に塗れた政府であったとしても。悪政を敷いていたとしても。
反乱軍の是非とは何か。
時の政府の政府の正当性とは何か。
どちらも、純粋な被害者からしたら、加害者以外になり得ないのに、恩赦とはなんなのか。
サンコーの、反乱の、きっかけは。
その時の、想いは、
突き動かした、理由は。
もしもそれが、
怒りだったなら。
政府への政治への不信や、経済不況への不安を、なんとかしなければと立ち上がったのだと、するならば。
あるいは、ダイヤモンドの既得権益の為だけだったとするならば。
それとは別に。
植民地支配というその歴史に対する憎悪が。
読めば読むほどに沸き起こる。
アフリカ分割のその時に、アフリカ大陸の全土をたった7カ国が支配したという。そのうちリベリアとエチオピアは除外されるが、リベリアはアメリカの植民地支配のようなものであるし、エチオピアはイタリア領か。その7か国のうち、多くを占めるのがフランスとイギリスだ。他も西洋の国々である。
アフリカ大陸の、アフリカの国々の、
国を、
人を、
文化を、
言葉を、
踏みにじり、
蹂躙し、
破壊し、
殺し、
その上で発展して、現在の豊かさがあるのなら。
今なお、貧困に飢餓に、争いに、
苦しみ喘ぐ、人々を、国々を、
助ける義務や責任は、
その歴史の中で、自覚しなければならない国々があるのじゃないかと思う。
それは、自戒を含め。
そしてそういうことを全て抜きにして、
ただただ、
救いたい、と
それは理屈じゃなく。
義務や責任よりもまず先に。
強く突き動かす、
衝動のように。
人の心に訴えてくるものだと。
生きていて、と願うのと、
同じくらい。
助けたいと願うのだ。