選択する自由
小学生YouTuberが小学校に行かないという記事を読んで。
賛否はあるだろうと思う。その是非を、問いたいわけでは決してなく。
ただ、思うのは、
親は子供に教育を受けさせる義務があり、
子供は教育を受ける権利があるのだということ。
そのために小学校から中学校までを義務教育と法律で定めているのだということ。
そしてそれは、1945年、戦後ようやく認められた権利であり義務なのだということ。
言い換えれば、それ以前は、教育を受けることができない子供たちがたくさんいたのだということ。
教育は一部の人たちだけの特権であったということ。
そしてその一部の人たちによって、政治は行われ、時には戦争を引き起こしてきたということ。
マララユスフザイさんが、紛争や暴力を止めるには、教育しかない、とスピーチしていたのは記憶に新しい。
ひとりの先生と、ひとりの生徒、一本のペンと、一冊のノート。
世界の様々な問題に取り組むために、立ち向かうために、必要なのは、教育なのだ、と。
独裁国家ではなく、民主国家であるならば、政治の行く末を左右するのは、国民ひとりひとりなのだ。
それを詭弁と言う人もいると思う。
民主国家でさえも一部のエリートによって動かされているという意見もあると思う。
それでも、
それでも、まだ、
まったく、教育を受けることが許されない国々の子供たちに比べて、
圧政に苦しむ人たちに比べて、
民主国家のもとで暮らす人たちが持つ、政治を変えるための可能性はかなり高いのだ。
小学生YouTuberの件のように、教育を受けるか受けないかを、選択する自由が生まれたのを偏に否定するのは了見が狭い話だと思うけれど、
教育を受けられる、ということが、
それが保証されているということが、
どれだけ、尊く、儚いものなのかと、
思わずにはいられない。
小学生YouTuberに、学校を通して学ぶことの大切さを、伝えきれない学校のあり方の問題も大きいと思う。現状の教育現場のあり方が、同じように問われているのだと思う。
それこそ、いじめや登校拒否、先生による体罰や不適切な言動、行為…。
取り組まなくちゃいけない課題は常に山積しているのだと思う。
そして、今まさにそれらと闘っている人たちもたくさんいるんだろうな。
負けないで、と思う。
苦しいだろうな、
辛いだろうな、
それでも踏ん張ってる、
頑張ってる、人たちが、
負けないように、と思う。
自分だけは傷つけないでね、と思う。
行かない、という選択肢ももちろんあっていいのだ。必ずしもそれが絶対の正しいものではないのだから。
命と天秤にかけるならどうか命を選んでほしい。
それでも、どこかで、学ぶことは諦めないでほしい。学校という箱の中じゃなくてもいいから。
新しいことを知って、知識を身につけて、知恵を絞れる大人になってほしい。
それが、あなたを守る武器になるように。
でも他者を傷つけることのないように。
願うばかり。